目次
- 1 Twitterで話題|燃える!ロードお兄さんにブルベについて聞いてみた
- 2 教えて!燃える!ロードお兄さん名前の由来
- 3 「恐縮です」が生まれたきっかけを教えてください
- 4 ロードバイクを始めたきっかけを教えてください
- 5 2015年4月28日にロードバイクを納車
- 6 ロードバイク|GIANT(ジャイアント)を選んだ理由はなんですか?
- 7 ブルベと出会ったきっかけはなんですか?
- 8 SR完走で調子に乗っていた時期がありました
- 9 1000km挫折|伝説のSR600の女王イーチョさんとの出会い
- 10 ブルベ中でのアクシデント(怪我・事故)はありましたか?
- 11 今まで機材トラブル(メカトラ)はありましたか?
- 12 月どのくらい走っていますか?
- 13 年間でどのくらい走っていますか?
- 14 ブルベの為にトレーニングはしていますか?
- 15 燃える!ロードお兄さんが憧れている人はいますか?
- 16 最後にあなたにとってブルベとはなんですか?
- 17 燃える!ロードお兄さんの愛車紹介|GIANT SLR1
- 18 ブルベについて知りたい方はこちらがオススメ
Twitterで話題|燃える!ロードお兄さんにブルベについて聞いてみた
(撮影場所;Rapha Tokyo モデル:aki カメラ:imao)
あなたは燃える!ロードお兄さんをご存知だろうか?「恐縮です」のフレーズでTwitter界隈を賑わせ、YouTuberけんたさんの動画にもちょいちょい登場するこのお兄さんをご存知だろうか!?

フォローしてくれた方に対して「恐縮です」でフォローを返す燃える!ロードお兄さん。いつしか「恐縮です」をいじられ始め様々な返しをするようになる。
面白いことをする人で定着し始めている燃える!ロードお兄さんですが、実はブルベ大好きなブルベお兄さんです。

けんたさんの真似をして笑いをとる燃える!ロードお兄さん。アングルまで合わせTwitter民を笑わせてくれました。
そこで、燃える!ロードお兄さんの素顔とブルベに対するブルベ愛についてお聞きしましたのでご覧ください。
教えて!燃える!ロードお兄さん名前の由来
「全然自転車とは関係ないんですが、少年ジャンプで昔連載されていたアニメ「燃える!お兄さん」が好きで、そこから名前を取っただけなんです笑」
「恐縮です」が生まれたきっかけを教えてください
「フォローしてくださった方に、ただただ「恐縮です」と返していただけなんです笑 それをイジる人たちが現れただけなんですよ笑」
ロードバイクを始めたきっかけを教えてください
「私がロードバイクと出会ったきっかけは2015年の4月8日に広島出張に行った時でした。広島出張した際に、たまたま見つけたGIANT(ジャイアント)ストアでロードバイクを借りれる事を知り、ロードバイクをお借りしてしまなみ海道を走りました」
「この時、ロードバイクに乗った瞬間に「絶対に買おう」と思いました」
「今思うとしまなみ海道の距離は70kmくらいしかないんですが、当初は体力的にもきつく40kmくらいで1日目は断念して近くの民宿に泊まりました。補給する事も知らなかったので、結局、2日間掛けてしまなみ海道を走りました。その時は、しまなみ海道の景色よりもロードバイクに乗る事が楽しいと思いました」
2015年4月28日にロードバイクを納車
「その後、家に帰ると近所のGIANT(ジャイアント)ストアに行きロードバイクを購入しました。ブログは自分の情報を整理する為にその時に始めました。(※現在、ブログは休止中)」
ロードバイク|GIANT(ジャイアント)を選んだ理由はなんですか?
「私が知っていたロードバイクメーカーがGIANT(ジャイアント)しか知らなかったんです。当初はワイズロードも知らなかったので、ロードバイクと言えばGIANT(ジャイアント)と思い近所のGIANTストアで購入しました」
ブルベと出会ったきっかけはなんですか?
「ブルベと出会う前に私も最初は皆さんみたくサイクリングロードやヤビツ峠、都民の森など走ってました。あとはエンデューロなども参加したり、ロードバイクのイベント、レースがどんな感じなのか一通り体験しました」

2016年1月29日(BRM129東京200花園:三船さんと一緒に出走)
「そんな時、当時失恋した事がきっかけで気がついたら300km(富士山方面)を走ってた事がありました」
「ある日、友人からブルベに誘われたんですが、一度ブルベとは関係なく300km走っているので、友人からのブルベの誘いに対してはすんなり承諾できました」
「後はブルベを完走すると手に入れる事ができるメダルの存在を知り、ロードバイクを始めてから11ヶ月くらいの時に300kmブルベに友達4人で挑戦して見事完走することができました。その後、順番はおかしんですが300km、200km、400kmと挑戦してブルベ完走することができました」
「ロードバイク始めて1年経たない自分がSR取れたらすごんじゃないかと思い挑戦すると、600kmを見事完走しSR達成することができました」
※SR(エスアール)とは同じ年に200km、300km、400km、600kmのBRMを走った者。
※SR600kmとは、600kmで獲得標高が1万mを超えるコース。
※BRM(ビーアールエム)とは、ACPが認定する走行会。
SR完走で調子に乗っていた時期がありました

#BRM422東京600km関東一周
「そして今思うとSRを走りきった後の自分は、1000kmもいけると思っていました。しかし、実際に1000km走った時は惨敗でした。その大きな理由に折り返し地点辺りに「まだ400kmか」と思った時に、精神的にも肉体的にも折れてしまってリタイヤする事になりました」
「次回1000km達成する為に必要なことは着替えが必要だと感じました。寒さ暑さに対応できるように、汗冷えは体温の維持が難しかったり、内臓を冷やしてしまうと不調になりやすいと感じましたね」
1000km挫折|伝説のSR600の女王イーチョさんとの出会い

(SR600富士、日本アルプス、北関東)完走
「1000km走った際に、伝説のSRの女王と呼ばれているイーチョさんとお会いしていました。お会いはしていたんですが、今のようにそこまで仲が良いと言う訳でもなく、お互いに顔見知り程度な感じでした」
「1000km挫折の後、自分を鍛え直す為に一から200kmブルベに挑戦しよう、200kmブルベなら全力で走って今の自分の実力を試そうと思い200kmブルベに心を入れ替えて挑みました」
「そんな時に200kmブルベにイーチョさんとお会いすることになりました。イーチョさんに「先日の1000kmはクリアしたんですか?」と尋ねると「1000km完走しましたよ」とあっさり言われました」
「イーチョさんから返ってきた答えを聞いて「あの時、自分は1000km完走できなかったのに、この人は一体何者なんだろうと思いましたね」
「また、自分を鍛え直す為に参加した200kmブルベを全力で走ったのにも関わらず、イーチョさんとタイムもあまり変わらなかった事もあり、イーチョさんの事を尊敬する気持ちとこの人と一緒に走りたい、学びたいと思うようになりました」
「イーチョさんと出会った事でブルベ人生が大きく変わりましたね!」
ブルベ中でのアクシデント(怪我・事故)はありましたか?
「今の所、大きな怪我と事故とかはないです。ただブルベは眠気との戦いもあるので、眠くなったら声を出すようにしています。やばい時は立った状態で仮眠をとったり30秒だけ目をつぶるとかしています」
今まで機材トラブル(メカトラ)はありましたか?
「シフトワイヤーが切れてインナートップからギアチェンジができなくなりました。最寄りの自転車屋さんを探して運よく自転車屋さんを見つけて直してもらった事があります。5000kmに1回自分でチェーンは交換するようにしています」
月どのくらい走っていますか?
「基本1000kmは走りたいですね笑」
年間でどのくらい走っていますか?
- ブルベカード
- ブルベ完走の認証に手に入れることができるメダル
「年間だと1万2000km以上は走っていると思います!」
※ブルベカードとは、認定を受ける為に必要なカードになります。
ブルベの為にトレーニングはしていますか?
「意識してトレーニングはしていません。家にローラーもないので、時間があれば30分でも乗るようにはしています」
燃える!ロードお兄さんが憧れている人はいますか?

左:燃える!ロードお兄さん 右:ブルベ会のレジェンド三船さん
「そうですね、私は三船さんに憧れています」
「元々すごい方なんですが、年齢を重ねても自転車を楽しむ姿、そして年齢を重ねても変わらないストイックな所を見て、自分もああなりたい、周りからカッコイイ人だなと思われたいですね」
三船雅彦さん(みふねまさひこ)さん
中学生時に自転車ロードレースに興味を持ち、自転車部のある花園高校に進学。本格的に競技を始める。インターハイや近畿大会で入賞。1987年、高校卒業とともにプロを目指してオランダへ渡る。1989年に一旦日本に戻って国内実業団チームで活動し、全日本選手権6位、ツールド北海道総合9位などの成績を残す。1992年に再びオランダへ。
1994年、念願のプロチーム入りを果たすが、この時はチームが活動開始前に予算不足で解散したため、この年は個人選手として活動する。1995年にようやくF.S.MAESTROと契約。本格的にプロロード選手として活動を開始。1997年からはTonissteinerに移籍。実質的に同じチームであるLandbouwkrediet時代と含めて、このチームに合計6年在籍。
この時にロンド・ファン・フラーンデレン(ツール・ド・フランドル)に日本人として初めて出場している。春のクラッシックレースシーズンではリエージュ~バストーニュ~リエージュに3回、ヘント~ウェヴェルヘムに6回、デパンヌ3日間に2回、そのほかにもヘットフォルクやE3などにも出場。秋のクラッシックレースシーズンではトップ10入りも複数回果たしている。-wikipedia参照–
最後にあなたにとってブルベとはなんですか?
「自分がドラマの主人公になれるのがブルベだと思っています」
「ブルベを好きな理由の1つに、私がブルベと出会う前からそこにはブルベの歴史があり、またブルベに携わってきている多くの人たちのおかげで、私がブルベと出会うことができました」
「また走っていて驚くようなコース、感動するようなコースと出会うと運営側の人達が作ってくれたコースなんだと考えさせられるようにもなりました。ブルベのコースを作ってくださっている運営側は本当にすごいと思っています。そして、感謝しかありません」
「ブルベは不思議と出会った人たちと深い関係が築けるのもいいです。ブルベが終わった後の交流会なども盛んで、顔馴染みが増えてくるのも魅力の1つです」
「またブルベの運営スタッフの多くがボランティアでやられており、そこにも感銘を受けました。そこで私自身も人生で初めてボランティアをしてもいいんだと思うようになりました。それまでどんなボランティアでも、自分からやりたいなどと思った事はありません。まさか自分も誰かの為に何かをしたいと思うようになるとは思ってもいませんでした。そして見習いスタッフとして今後、お手伝いさせてもらう事になりました」
今後の目標としては2019年に開催されるブルベの最高峰PBP1200kmを完走する事です。※パリ・ブレスト・パリ(仏:Paris-Brest-Paris)は、フランスのパリからのブレストまで往復する1,200キロのブルベです。
「これは夢なんですが、将来はブルベのコースを自分で作って皆さんに走ってもらい、いい意味で酷いと言われるのが夢なんです笑」
燃える!ロードお兄さんの愛車紹介|GIANT SLR1
撮影協力場所:RaphaTokyo
公式ページはこちら:Rapha|Rapha Tokyo